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Message
ごあいさつ
音楽は国境、宗教、政治、言語、文化、歴史を越え互いを理解する事が出来ます。これまで、アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国、韓国の友人たちと未来の子供たちのため、核兵器のない平和な世界を祈念し演奏会を重ねてまいりました。昨年はG7外相会合と同時期に広島平和音楽サミットを開催しました。今でこそ緑と穏やかな水面をたたえる川のほとりの原爆ドームが、当時の面影を残しています。
戦後広島の復興は、想像を絶する絶望の中から始まりました。被爆直後の惨禍は報道されず、医療施設の代わりに研究所は造られましたが、なす術もない実相はわかりません。生き残った人々も原因不明の病に脅かされ、家も家族も失った孤児の悲惨な運命、被爆者へのいわれのない差別、1980年Robert・Jungkは、その著書Children of the Ashes, The People of Hiroshima after the Bombに克明に記しています。
戦後の復興に、音楽・芸術文化は人々になくてはならないものでした。
広島市現代美術館、広島県立美術館、印象派を中心としたひろしま美術館が百万都市広島市民の心を癒しています。
高校生、支援者は「核兵器と戦争のない平和な世界」をテーマに作品の募集と展示を、広島平和美術展は八月六日を中心に、慰霊と平和を願い活動を続けています。
手に取った楽器で合奏を始めた市民は、市民交響楽団を設立し、被爆でなくなった同窓生を悼み、鎮魂の演奏会を数多くの合唱団が開催しました。
食べ物も家もない中、はじめて耳にしたクラシック音楽に励まされた少年は、世界企業の財界人となり、広島の平和文化活動に多大な貢献をしています。
焦土の中、歌うことが大好きな少年は医学博士となり、大学学長の要職を務め、今なお美しい歌声で、88歳世界最高テノールとしてオペラの舞台を踏んでいます。
東京大空襲を体験した合唱団の指導者は、数多くの国際交流を通し、市民の平和文化活動に貢献しています。
廃墟の地に王室の支援を受け、ベルギーの神父様は音楽学校を設立しました。後のエリザベト音楽大学です。
スイス人ジュノー博士は被爆直後に医薬品を届け自ら診療にあたり、アメリカ人記者カズンズ氏はやけどの跡が残る被爆女性達の渡米治療を実現させました。お二人の功績は平和公園の記念碑に残されています。
志を受け継いだ広島の医師、市民団体は世界の被爆者支援に携わっています。
また、アメリカのクエーカー教徒で森林学者シュモー博士は広島・長崎の原爆投下に心を痛め、罪悪の償いのため自ら行動を起こしました。住まいを失った人々のために、国、人種、宗教を越えた多くの仲間たちと家を建てました。ともに作業する中で、戦争で失われた互いを思いやる気持ちが生まれました。そして家ができる喜びが、市民に生きる希望を与えました。
昨年の広島平和音楽サミットでは「広島で音楽を通し、世界の若者が平和と友情を築くこと」を提言し、演奏会と講演会が開催されました。今年パリで開催される広島平和音楽サミットでは、「2019年パリ・ユネスコ大会議場・広島平和音楽サミット」を提案します。Pre Olympics with Music from Hiroshimaをテーマに、古代オリンピックが平和の灯をマラソンでつないだように、「核兵器のない平和な世界を、地球温暖化のない平和な世界を未来の子供たちに、」をテーマに、広島から趣旨に賛同したアジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アメリカ五大陸の国々に平和演奏会の参加を呼びかけます。最終目的地ニューヨークでは、広島に来られたアメリカ大統領、国連事務総長を来賓に迎え、広島の合唱団に参加した各国の若者と、ニューヨークの学生オーケストラと一緒にベートーヴェンの第九を演奏しましょう。
戦前広島は緑に囲まれた美しい町でした。戦後70年草木も生えないといわれましたが、緑と川に囲まれた平和な街に復興しました。今なお戦火に苦しまれるお国の方々に、希望の復興をお届けします。
核と温暖化は、世界の皆様とともに手を携えなければ解決できません。
平和は皆さんと一緒に汗を流して作るもの、アメリカ人シュモー博士は教えてくれました。
様々なお国の方々の講演会と演奏会をご案内します。